マイペースですが意識的に頻度を上げて、自主練習の参考動画を作っています。このホームページに掲載するにはYoutubeにアップして紐付けた方が楽なんだけど、なんとなくまだやりたいと思わないので、googleフォトで共有という形をとっています(2021年現在は、動画共有サイトVimeoに公開してこちらに載せています)
最初はコロナの自粛の影響で生徒さんが自主練習するのに、参考になればと思って始めました。コロナの前からですが、クラスから帰って自分でやろうと思うと何をやればいいのか分からないとか、やり方を忘れて自己流になってしまったなどの声があったからです
クラスをするとかブログを書くとか今はなんともないけど、元々、人前で何かをするとか初めての事に緊張しやすいので、動画に取り掛かるのもなんだか違和感だらけで勇気がいりました
まぁ、そういうキャラクターなんだな、そういうエゴ、そういう心を持っているのねと観ながらも、それも妨げだから改善していこうと、動画を作るのもやってみようと思いました
動画を作り始めてひしひし感じるのが、YouTuber(とか、撮影関係のお仕事をしている人)ってすごいわと思ったこと。構図とか画質とか編集とかいろんなことにこだわっているんだなーと、やってみて気づきました。短い動画でもこだわる人は結構手間かかっているはず(資金もそうだろうけど)
それがお金のためなのか、奉仕としてなのか、承認欲求や名誉欲のためなのか、撮影して編集してネットにあげるというクリエイティブ自体を楽しんでいるとか、目的は様々ですが、観てもらうことを意識して想像して作っているってことは共通していて、創造力もそうだけど想像力を上手く使える人達なんだろうなー
今日も動画を撮りましたが、「もし自分が観るんだったら…」「もしヨーガが初めての人だったら…」「もし少し慣れてきた人が取り組むとしたら…」「腰が弱い人も安心して取り組むにはどう流れをくんだらいいかなー」「続けやすい長さとは?」など、内容や角度や時間をすごく考えました
せっかく時間かけたのに、見直してだめだ!と取り直したこと多数…
クラスの時もそうしているけど、動画とクラスとではまた違うアプローチなんですよね。考えてこれかよ!というクウォリティーかもしれないけど、想像力をフル活用していくこの過程を楽しみたいです
でも、そこに評価や反応とか何か見返りや期待をもたせちゃうと、「これだけ時間をかけたのに、大変だったのに、せっかくやったのに○○だ」というエゴが出て、感情が良からぬ方向に波立ち、動機が不純になったり、純粋に楽しめなくなる気がするから注意しています
日常でもそうで
「相手がもしこうだったら…」と想像して行動出来るのって地球上では人間だけ。人間の高度な脳の機能は他の生き物を助けるために与えられている
日々の中で、もしも自分だったらこんなことされたら嫌。言い方とか接し方とか手助けの方法なり、相手がこういう人だからこうしてあげたらいいかしらとか(もちろん人間だけとか自分の関わりがある人だけでなく、自然や虫や動物に対しても)
ネガティブではなく(←大事。よく観ていかないとそっち方向に使っていたり、利己的になっていく)良い方向に活用したいものです。生活のヨーガです
関連
「いつでも」内観する