素直に頂けないのもエゴ

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ここ最近というか数カ月は、『素直に頂く』ということを地味に実践しています

ヨーガを学び始めると手放すというキーワードをよく耳にして、執着しないよう過度に持たない、利他的な心や慈しみを養うために(良い習慣を作って心を善きものに変えていくために)、好きな相手・嫌いな相手問わず与えることを進んで実践するなど

手放したり、与えることには意識が向いてトライしているけど、自分をよく観始めてから「もらう」ことは盲点だったなと気づきました。自分の傾向を観ていると、誰かが善意で何か手伝ってくれたり、親切にしてくれたり、金銭的な援助を申し出てくれた時とか、「頼ってはいけない、頼っては悪い」みたいな気持ちがあって、申し出には感謝しているけど素直に頂けなかった

それを紐解くと、「頼ることで相手の時間(や何か)を奪っているのでは?自立をしないといけない」という間違った自立の解釈や、頼ることが自分が自分を非力に感じさせて、それを認めたくない=私ならもっと出来るという傲慢さみたいなのがあるなということ

冷静に観てみると、相手が善意で申し出てくれるのは相手の何かを搾取するわけでないし、頼ること=依存ではないし、こちらが本当に困っていたり間違っていることに対して助けてくれるのも神の恵み(自然の流れ)であるし、物や金銭なり人なり、来ては去っていくものを受け入れないのも頑固だし差を作っているし狭い心である

ちょうど先日、ヨーガの友達と「素直にもらえないのは私と他者という区別・エゴだよね」と話していて、「私なんかが」という自信のなさというのか、変な謙虚さというのもエゴ

かといって、なんでもかんでもくれるならもらうわ!というわけではなく、足りていたり必要のないものは正直に断るし、自分で考えたり調べたり出来るし努力すべきなのに、最初から面倒だとかあの人やってくれるしという期待を元に、丸投げや責任放棄するとか、もらいっぱなしで分かち合ったり手放することを忘れてしまうのはまた違うけど

期待なく回ってきたものを素直にもらうということも、自分の持つ心を知って変えていく良い機会・題材になると思いますよ。(感謝と自分も誰かを助けたいという気持ちを持てるように努力することも忘れずに)

写真はインドの寺院を参拝した時のプラサード(神様からのお下がり)。ココナッツだったり、お花、クムクム(儀式に使う粉)、砂糖漬けのお菓子、謎の液体(食べられるけど…何だろう?、そして、いつの?と、口にするのをためらう)など寺院によって違いますが、参拝した時に金銭やお供物を捧げると、プラサードを頂けます