盗まない、貪らない


先日、我が家のトイレットペーパーの残りが1個になったので、買いに行ったら商品棚がすっからかんだった

かろうじていくつかあったので1パックだけ買ったけど、事前に友人から「今、トイレットペーパーやティッシュが買えないんだよ」と聞いていたが、本当だった。食料品も品薄だった

本当はまだ家に在庫があるのに不安から必要以上に買う状況、在庫がなくて買いに行っても不安から他の人の分を考えずに買い占める状況

品薄を予測し買い込んで常識外れの高値で転売し儲ける状況、そうした結果本当に優先的に必要な人に必要なものが行き渡らない状況。自分さえ良ければいい、自分の家族や友人さえ良ければいいという思いからの行動だ

恐怖、疑念、不信感、未知なものが強く蔓延している今

「私は傷つきたくない」「私は安全・快適でいたい」「私は優位に立ちたい」「私は私が一番大事な存在だ」というエゴの性質をストレートに見ることが出来るのではないか?

聖典や聖者の本を読んでエゴの性質を知識で学ぶとピンとこないかもしれないけど、今目の前にそれが広がっています

そういうことをする人や、やっぱりそうしてしまう自分を批判したり責めるという意味ではなくて、そういう状況に身を置いている今、恐らくこれまでより自分の心の純度やエゴがどんななのか気付かされるし、肉体なり精神なりヨーガの恩恵を感じられる時期だと思う

ところで、不足や不満や不安があると暴力が生まれる。それらが大きいほど暴力も比例して大きくなるんですって

殴る蹴るということに限らず、暴言を吐く、盗む、嘘をつく、取り繕う、騙す、自暴自棄になる。どんな手段であれ自分や何かに苦痛を与えることは暴力である

ヨーガには『盗まない(アスティーヤ)』という教えがあるが、泥棒の窃盗という意味はもちろんのことだけど、ヨーガでは時間、権利、機会を奪うことも盗みに入ります

使わないといけない人が使えない。機会や権利を奪っている

物もその物としての機能を果たせないまま、必要がなくなれば捨てられていく。普段、物が溢れる日本では当たり前になって麻痺している感覚ですね。不足するこの状況でも、いつでも困らないようにと身の回りに物を溢れさせる

マスクや紙類や消毒液などしばらくストックがあるなら、食べ物も数日分賄えるなら必要なのになくて困っている身の回りの人に分けてあげて下さい。またもしも買う時があれば、買い占めずに他の誰かの分も残してあげて下さい

また『貪らない』という教えもあります。

必要以上に欲しない、必要以上に使い切れない分は所有しないことを指す。持てば持つほど強欲になり、なくなると不安になるし、あってもこれで足りるのかと不安になる。奪われないかと疑心が生まれる

出し惜しみしたり、独占している時って、私と誰かの境界線がくっきりあって、持っていて安心どころか、なくならないだろうか?誰かや何かに奪われないだろうか?という不安がつきまとい、結局安らげない

みんなで共有しよう、差し上げる、快く与えることが習慣になると、私と誰かの境界線がなくなり、心の窮屈感もないし、自然と周りとも上手く行く

本来は誰もが良心を持っていて、広い心を持っている。でも、過去に傷ついた経験から、なんだか優しくなれない。怖くなったり、余裕がなくなって、忘れてしまっているだけ。「あぁ、やっちゃったな…」と失敗しても、責めずに次の行動をまた変えてみます

状況の収束って感染しないように過ごすことだけでなく、それ以上に恐れから動かない、良心から動くこと、正しい行為って何かとクリアな知性を働かせることだと思う

意識ってみんなに波及するし。今は恐怖が伝染しているけど、一人ひとりが恐怖から行動せず、落ち着いていればそれも必ず伝染する

なんて、思いながら個人的には情報に流されず見極めて、体を動かす、よく寝る、良いものを適度に食べる、ヨーガ(ハタヨーガ、祈り、瞑想)をする。いつもやってることを淡々と続けています

不安で家から出ないで体を動かさない。頭ばっかり使う、保存がきく添加物たっぷりの食事をしている方が免疫力が下がるし、トイレットペーパーとかティッシュや生理ナプキンがなくても生きていけるよ

分かち合う豊かさ