私がヨーガを信じられる理由

この間、私の先生の身にいろいろあったらしく、「私は今年は大変な年らしいのよ〜」なんて、良い意味で何かの物語を話すとか、誰かの身に起きたことのように話していたし、普通にレッスンをしていた

「乗り越えられない障害はないし、今回のことは必要だから起きているのだと捉える」「これを乗り越えれば飛躍出来ると思ってるんだよねー」と、本当に心から素直にそう思って言っているんだなという姿に

詳しい経緯は知らないが、なんとなく他の生徒さんと先生のやり取りから何があったか察して、もし自分だったらそこまで客観的にいられるかなー?と思った

それは先生の持っているキャラクターもあるかもしれないが、真剣に誠実にヨーガを実践し続けている成果だと思った

先生ご自身もヨーガをしていたから、ヨーガの戒律(ヤマニヤマ)を持っていたから、冷静でいられるし、必要なことだと捉えられるみたいなことを言っていた

何があっても、こういう(←内容はよく知らないけど)心が揺さぶられることがあっても、「自己保身のため(エゴを守るため)に自分や何かや誰かを絶対に傷つけない」という考えや行為を選択出来る人、積極的に守ろうとする人の姿勢を通して

ヨーガを続ければ、こんなに強くなれるのか、こんなに慈愛に満ちていられるのかと勇気をもらえるし、ヨーガという方法への信頼がますます増した。(元々、信頼しているけど)

私自身は聖典や聖者の教えは信じている。10年前から5年間ほど1番目の先生からヨーガの教えを学び、訳あってその先生からは卒業したが、その後も自分なりに振り返ったり勉強や探求と呼べるものではないかもしれないが、いつもヨーガの教えは側にあった

しかし、媒体が本で知る機会のが多く、守れば本当の自由を取り戻せるのかと勇気を貰い、心は洗われるし、反省もするし、とても良かったのだけれど

教えと私の距離感が遠く感じ、その場で頭で分かった気になって実践せずで終わってしまうことが多かった

今思えば完全にエゴゆえになのだけど、自分のルール(自分のルールなんて気分や関係性や何らかの条件に左右されるし不安定なものだ)を持ち出したり、居心地の良い教えは守り

辛く居心地の悪いものは言い訳したり、良いとこ取りしたり、都合よく解釈して、結局エゴを大きくしていた。というかそれにすら気づかなかったかも…(そんなんでよくヨーガを教えていたなと、すごく恥ずかしい)

でも、今の先生の下で学び始めて変わった。時代なんて関係ない。国も関係ない。自分が持っているものも関係ない。家庭を持っていようと、子供がいようと、周りが世俗的であろうと、ノンベジタリアンの人達との付き合いがあろうと、そんなこと関係ない!

常にヨーガの教えを徹底して守るという、厳しい先生の下に身をおける恵まれた環境に、本当に毎回感謝している。誠実さを持つ先生もだけど、ヨーガそのものを信じているから私はヨーガを続けている

毎日、行為は繰り返されるし選択の連続で、私も失敗し反省することもあるが

ヤマニヤマを守れないことに言い訳したくなった時、守るか?欲に流されるか…という瀬戸際の時

誰も見ていなくても、神は見ているのはもちろんだけれど、思い出すのは神だけでなく、先生や他の生徒さん(←他の生徒さんも厳格に従って頑張っている)、自分の教室に通って下さる方達のことが思い浮かんでいます