出来ない時に何が見えるか

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ハタヨーガの自主練習が出来ない時、聖典や聖者の教えが守れない時(せっかく座学に参加したのに忘れてしまう)、瞑想が出来ない時、祈りや委ねることが出来ない時(必要なものはやってくるのだという信頼の下に本当に神を信じ委ねていたら、不満や疑念や恐れは生じない)

「難しい〜」「守れなかったー」「やれる時にやれる範囲でやればいい」「また今度!」で軽く流して終わりにしていませんか?

出来ないのはなぜか?何がそうさせているのか?を観て気づき、反省をしていますか?

失敗しても良いんです!反省して、気づいて改めようと果敢に取り組むことが大切です

大体、実行出来ない時に出てくるのはエゴ(*)ではないでしょうか

自己主張が強いという意味ではなく、自分本位の快適さ・利益、私の考え、過去の記憶と反応、私の価値観、私の観念、私の感情、私と何かの関係などもエゴ

ヨーガは体以上に心をきれいにしていく作業です。エゴが純粋さを覆い隠します。それが苦悩や問題となって生きにくさとなりますが、エゴを取り除く方法がヨーガです

でも、これまで信じてしがみついてきたエゴを変えることに抵抗があるから、疑念が湧いたり、忘れたり、都合よく正当化したり、中途半端にいいとこ取りする

私もよくこのエゴの罠にかかり、良くなっていくはずがかえってエゴを大きくして、すごく苦しみました。頑固さから怒りが生まれてそれを引きずったり、不信感で苦しんだり、自分や誰かや何かをたくさん傷つけてきました(食、人間関係、心の暴力とか)。それは、誰のせいでもなくエゴが原因です

だから中途半端は良くない。やるかやらないか。と、あるところから気づき、私は惰性に流されやすいし頑固だから、あえて厳しい先生の教室の門をくぐりました。心は良くも悪くも影響を受けやすいからどんな環境に身を置くかは重要です

この人生の時間は限りがあります。人間に生まれ自分を変えたいと熱望すること、そのためにヨーガが出来ることって、めちゃめちゃ幸運なことなんです実は。だから、今やらないでどうするの?

絶好の機会

話を戻して、ヨーガの実践により、謙虚さや慈悲が育ちます。必要なものは(自分にとってたとえ快適なものでなくても)自分の元にやってくるという信頼のもとに生きられるから、楽。不満や恐れゆえに何かに囚われたり属することから解放され、悩みなく時間を無駄にせず今を生きられるようになる教えです

(私自身、そう変わった部分もあるし、まだそこに到達できず先生から教えてもらったことも含みます↑)

そんなに素晴らしい恩恵があって、これを信じて実践すればそこに向かうことが出来るのに、エゴは消えるのを恐れ傷つきたくない。故に、それを信じられなかったり疑念が出てくる、惰性や好き嫌いに流される

実行出来ない時、自分自身を観ることを投げ出したくなった時、そこにどんなマインドの声が出てくるでしょうか?なぜ耳を貸すのでしょうか?その根底には何があるでしょうか?

日々の行為の中で、その瞬間見てみてください