これも暴力

ヨーガの教えに非暴力(アヒンサー)がある

『行い(心、口、身体)によって自分自身、周りのものに苦痛を与えない』

非暴力は蹴らない殴らない、悪口を言わない、殺生をしないことだけではない。何が暴力なのか分からなかったら、まずは自分がされて嫌なことはしない

相手の立場に立ってみる

実際に手を出さなくても想いで傷つけたり、いつものことだから・たいしたことないからと不調をそのままにしておく

仮に自分が手を出さなくても誰かの暴力を容認すること(例:自分は手を出さないけど目の前で家族がゴキブリを殺すのを見ている)

これらも非暴力に反します

最近、先生から教えて頂いたのが

焦っている時、恐怖がある時、無力になっている時、心のバランスを崩している時、自分を追い詰め過ぎている時(自分に甘く怠惰な傾向が強い人は怠ける口実にならないように注意)

自分自身にキツイ言葉をかけている時、怒りを爆発させている時、自分を愛さない、自分に嘘をつくこと(正直とは何かを見誤らないように、心の純化が必要)、予定の詰め込み過ぎも心身のバランスを崩すなら暴力

これらも暴力になるんですって。結局、よくよく観ていくと不満や不安や不足を感じている時にそういうことをしている。安らぎとは真逆

周りのものに対しては気をつけやすいけれど、自分自身に対しての暴力には気づかなかったり、些細なこと・一時的なことだと忘れしまう。日常生活の中で、周りのものに対してと同じくらい自分自身に対して非暴力を実践しているのか?積極的に意識して確認してみてください

アヒンサーを守れなかった時に、なぜなのか?マインドを見て気づき、守れず失敗しても反省してまた守ろうとすることが大切です

暴力は必要以上に欲したり求める時に生まれる

私にとっての安定、私の快適、私の調和、私の立場、私の正義、私はこういう人間だというイメージ・観念が失われる「恐れ」から生まれる

そこも日頃マインドや行動を観察してみます

アヒンサーを実践することによって、自分の持つ欲望(物欲だけが欲望ではない)、恐れというエゴを知り、自他を傷つける癖を直す。他人への暴力が自分への暴力だと気づき、慎むことを学ぶことが出来る

命の大切さを知り、尊重や尊敬の気持ちを養い、すべての中に不動の存在が宿っていることを考え知っていく。自分と関わりがあるものだけを大切にする「愛情・愛」の態度から、自分と関わりがあろうがなかろうが大切に思う「慈愛・慈悲」が育まれ態度が変わっていく

とても愛のある教えで、生きやすくしてくれるための教えです

これは考えても本を読んでも身につくものではない。心身の純化をしながら日々の実践が大切。だから、自己観察だけでなく心身の純化をもたらすハタヨーガや瞑想なども大切です

そして実践の際に、アヒンサーを他人を批判したりジャッジする道具にしないこと。心の中でもそう。自分のことを棚に上げていないだろうか?←エゴは巧妙で私はそんなことしないと思っているし、自分本位だから都合よく見ないふりをする

そういう時はそうしたがっているマインドに気づき見ていく

習慣、癖、傾向、態度は長年続くと私の一部で変えられないと思っているけど、変えることが出来ます

コメントを残す

CAPTCHA


2 × 4 =