ヨーガは続けるもの

先日、祭壇の神々に祈りを捧げている時に、「私、ヨーガを知らなかったら、実践していなかったら、今頃どうなっていただろう…」と思い、想像しゾッとした

ヨーガが自分自身を知る方法であり、哲学や祈りもあるなんて知らなかった頃は、周りの何かと自分自身を比較して不安になったり、すぐ怒るし苛つくし

いろんな物事に対して欲望やこだわりや執着も強いし、すぐ誰かや何かのせいにするし、傲慢でワガママ

自分自身を分かって欲しい、認められたいと行動し、自分や周りのものを傷つけていたが、それにも気づかない、そんな自分自身や周りの事で揺れてばかりだし、自分自身が嫌いだし、体も弱く、物事を成し遂げる活力もないという

最悪な状態で、でも本人も気づいてはいて、何故自分はこんな状態なんだ?こんな風に振る舞ってしまうのか?でも、どうしたら良いのか分からず苦しかったし

周りもそんな奴と深く付き合いたくないだろうから、人付き合いも物事も上手く行かない事が多かった

ヨーガがなかったら、溺れたまま。人生も大部分が怒りや不安やもどかしさ100%でただ寿命が尽きるまで苦しく必死に生きるだけだったと思う

ヨーガはヨーガの動きに従い身体を操作することで肉体を丈夫にする恩恵もありますが、心を磨きキレイにして、苦しみを取り除き穏やかに真の平安(条件付けられた平安ではないということ)に生きるためにはどうしたら良いのか?という哲学(智慧)もあります

それらを実践するには、自己抑制や忍耐や意志の強さや許容や受容などが必要です。始めは持ち合わせていなくても、先生の教えを信頼しクラスを受け続けたり、ハタヨーガや瞑想などの自身練習や、日々のヨーガの教えを自己観察伴いながら実践していくうちに、段々とそれらが身についていきます(私はそうでした)

でも、習慣にするまでが辛い。大変だから、時間がないから、環境が整わないから、他に〇〇しないといけないから…とマインドが、最もらしい理由をつけてやらないように仕掛けてくる

早く結果が欲しくて、待てずにやめちゃう人もいる

でも、そこを越えるように努力を自分で選択し、越える、を繰り返すと習慣になります。マインドにのまれ怠けるときもある!でも、結局は後で自分に何かの形で返ってきて「やっぱりやらないと困るのは自分か」と思い知る

ヨーガは続けないと恩恵も最大限感じられません。時間はかかります。インスタントじゃないってこと

また、「ヨーガをすること自体に執着しないように。いつまでもやらないでいいんだよ。いつかは手放しましょう」と言う言葉を聞くことがあります。実際に昔の先生に言われたことがありますが

それは万人に向けた言葉ではないし、注意しなければならない。相当、純化が進んだ人向けで、私も含めて、誘惑が多い世俗にいて、欲望や執着がある、悩み苦しみがある(エゴが大きい)状態の人が聞いたら、じゃあ止めてしまおう、出来る時で良いよね、無理しないで良いよねと投げ出す理由になってしまいます

なぜなら、エゴはなくなるのが嫌だから、なんとしてでも生き残ろうとするから。欲は生まれるまま満たす方が楽だし、自分自身の内面を観ることは時に苦痛を伴うから、楽な方に流れる

ヨーガは方法で、ヨーガという方法と自分自身を紐付けない、「ヨーガをしている私」に特別視をしない、固執しないようにしながら、日々の自分自身の行動を、ヨーガの哲学を下に選択したり、観察をするのがヨーガ(自分自身を変える方法)

食事や歯磨きや着換えや風呂に入るのと同じくらい日常的なもの。毎日しないと生きられない訳じゃないけど、やらないと調子が悪いよね。みたいなもの

ヨーガを使って生きると、体、心、奥深く、生き方全てがスムーズに回り始めます

教室は未経験、初心者で来始めた人がほとんどで、経験や体力などは気にされなくて大丈夫です

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