絶好の機会

この身体は寺院だ。あなたの中には神が座っている。だがあなたは彼に会いに行こうとしない。なぜなら、いつも外側の物事に目を奪われているからだ。

内なる神に気づかれないまま、他者や外側の物事を追いかけまわすばかりだ。人間としての身体、あなたに与えられたこの寺院は、実に稀有な誕生だ。この機会を逃せば途方もない損失となるだろう。

次にいつこの機会が訪れるかわかりはしない。誰が知ろう?解脱への欲望がふたたび起こるかどうかは誰にもわからないのだ。

あなたの旅を引き延ばしてはならない。これがすべて積み重なって、何生か先の人生で機が熟すだろうなどと考えてはならない。このような好機をふたたび得られる保証はどこにもないのだ。

あなたは今、人間の身体で、サットサンにいて、自由への欲望を抱いている。この欲望に最高のチャンスを与えなさい。目的地に向かってまっすぐ進みなさい。それに時間はかからない。私が遅らせているわけではない。あなたが遅らせているのだ。

―パパジより―

私達は「本当の幸せは自分そのものである」。探し求めている安定、安らぎ、豊かさ、満足はすでにここにあるという真実を悟るまで、生まれ変わらないといけない

人間として生まれることは、この真実に目覚める絶好の機会を得ることである。なぜなら、人間として生まれるには、気が遠くなるほどの生まれ変わりを経験しないといけないから。しかも次回また人間に生まれるとは限らない

そうだと知ったら、毎日をどう過ごしていくか?が変わってくる

消極的な意味ではなく、毎秒生きるということは、毎秒死に向かっていくことで、この機会がいつまで続くか分からないからこそ、「今」すべきことをする

自分自身を知っていくことにエネルギーを注いでいくしかない。毎秒が、この生活そのものがヨーガ(自分を深く知る)そのものである

まだそうしたことに興味関心があまり湧かないにしても、もしも、今の自分の生き方に疑問を持ち始めたり

自分を知りたいと真剣に思い始めたなら、生まれてきた目的を思い始めてきた兆し。その小さな火種を消さないように、もっと燃え上がるように

ヨーガ、瞑想、聖者の本を読む(聖典ももちろん良いけど、聖者の言葉の方が心に響きやすいかも。そして読んで終わらない)、マントラを唱える、祈る

それらは、自分自身を知るために必要な純粋な心を養うために出来ることである

でも、肝心なのは

家庭や仕事を持っているなら、それを放棄することなく「すべきこと」を、見返りを期待せず奉仕として行うこと

自他の喜びのために、傷つけたり、嘘をつかず、奪わず、話したり、考えを持ったり、行動をすること(正しい行為)

これも日々の中で出来るヨーガです

私は出来ていると思っても、意外と、自分のやらないといけないことをやらず、人に押しつけたり、指摘しているかもしれない

これも自分の正直な気持ちだとごまかして、惰性で後回しにしているかもしれない

小さい利益のために胸のうちと言ってること、していることが違うかもしれない、反応や結果を期待しているかもしれない、良心を裏切っているかもしれない

それは自分を責めたり、「しないといけない」に縛られるわけでなく

正しい行為を通じて、自分がどんな時に、利己心、恐怖、惰性、怒り、嫉妬、不安、欲望、すり替え、偽りが生まれるのか?それを知り、小さくしていく機会。広い心を育て生きるのを楽にしていく機会

世の中便利ですが人生は誰かが肩代わりしてくれません

自分の努力という行動によって人生が変わるから(神も人生の面倒を見てくれるけれど、完全にお任せする姿勢という努力が必要です)

やるしかない