アビヤーサ(修練)

座学クラスで学ぶインドの哲学の智慧について

人は知りたいという欲望があるので、知ることで満足して終わってしまう。その時は守ろうとしても次の瞬間には忘れる。後に実践は順調かと聞いても「忘れてしまった」「難しい」と言うだけで終わってしまう人がとても多い

クラスに参加して智慧を知ること自体が自分を変えてくれるわけではなく、そこで触れた智慧を自分自身で勇気と忍耐を持って活かさないと意味がありません。自分の人生は誰かが変えてくれるわけでもなく、待っていても魔法のように何かが変わるわけではない

欲望とエゴ(自分を証明したい、自分が正しい、自他を区別する意識)は消えることを嫌がるので、嫌いなことは避けて、好きなことや楽なことをしたい。だから、欲望を欲望のままに叶えるほうが楽で、欲望を自制し行動を変えていくことはしたくないし

自分自身を観ているはずが、いつの間にか智慧の実践が出来ないのは周りのせいに思えたり、「私よりあの人の方が○○だ」と対象がすり替わってしまうこともある

それはエゴの罠でありそこにも気づいて、自分自身に照準を合わせ直す。出来ない、やらないと選択しているのは自分自身である。欲望や習慣に負けて守れない時があっても、反省しそれでも食らいついて自分の態度(行為)を変えていかないと心の質は変わりません

自分が変わるには苦痛や恐怖を伴うことがあるけれど、我慢や抑圧ではなく忍耐でそれを越える。期待なく、焦らず、修練を繰り返していくうちに、心も変わっていき智慧に沿って行為をすることが自然になっていきます

先生が忍耐をつけるにはアーサナを取ることが良いよと、よくおっしゃっていますが、本当にそうです

私自身、苦手できついアーサナが頻繁にクラスで取り上げられたり、宿題になっていて、やらざる終えず続けていくと、それ自体が忍耐力がついていきますが

段々と出来るようになり自信がついて、面倒なことを後回しにしない、苦手なものも頭から拒否せず逃げないこと、欲望を統制することがしやすくなり、忍耐がついてきたと実感しています